空はなぜ、人を浄化するのか ——青のこと

青い花の野原で空を見上げる二人の女性の絵(Luna SĀYA 作) 色彩研究

青と聞いて、わたしはまず自然界のそれを思い浮かべる。空の青と、海の青。

そして思い浮かべた瞬間に、自分が少しだけ浄化されていることに気づく。何もしていないのに。ただ、思い出しただけなのに。

では、空はなぜ人を浄化するのだろう。海の浄化と、空の浄化は、何が違うのだろう。

空の青は、散らばった光

空には、青い物が浮かんでいるわけではない。

太陽の光が大気に入ると、空気の粒にぶつかって、あちこちへ跳ね散らかされる。このとき、波長の短い青ほどよく散る。散らされた青が空じゅうに広がって、見上げるどこからでも目に届く。あれが空の色だ。

空の青は、物の色ではない。散らばっている途中の光そのものである。

だから掴めない。近づけない。飛行機で空へ入っても、青の中には決して入れない。青はいつも、もう少し先にある。

空は、からっぽである

空、と書く。そこには空っぽの空間がある。

同じ字で「そら」と読み、「から」と読む。何もない。掴めるものが何一つない。

けれど、からっぽだからこそ、そこに何かが生まれる。恋が生まれる。創作が生まれる。埋まっている場所には、新しいものが入る隙間がない。空いているから、生まれる。

そして今、空は情報が飛ぶ道でもある。電波が、言葉が、声が、あの青の中を通って広がっていく。空は昔から拡散する場所だったが、いまはわたしたちの言葉まで拡散させている。

ここで一つ、思うことがある。

散乱は、光を選ばない。空気の粒は、当たった光を分け隔てなく散らす。届ける中身を選んだりしない。だから、人を苦しめる言葉も、人を幸せにする言葉も、同じ仕組みで、同じ速さで広がっていく。

その青が、人を苦しめる青ではなく、人を幸せにする青であることを、わたしは祈る。

祈るしかない、とも思う。ただ、何を空へ流すかだけは、流す側が選べる。そこは祈りではなく、選択だ。

海の青は、飲み込まれて残った色

海の青は、まったく別の仕組みでできている。

水は、光の中の赤い色を吸い込む。橙も、黄も、順に吸われていく。深く潜るほど吸われて、最後に残るのが青だ。だから深い海は青い。わたしたちが見ているのは、吸い込まれずに帰ってきた、たった一つの色である。

空の青が散らばる青なら、海の青は飲み込む青だ。深いほど濃くなる。抱え込んだぶんだけ、色が深くなる。

海には、足をつけられる

そして海には、触れられる。

足をつける。冷たい。しばらくすると、生暖かい。波が引くとき、足の下の砂がさらわれていく。

その感覚は、身体がある存在でなければ感じることができない。

空は、身体がなくても届く。見るだけでいい。写真でも、思い出すだけでも、少し浄化される。けれど海の冷たさは、身体がなければ一生わからない。あの感覚は、身体を持っている者だけに許されている。

わたしたちの身体は、借り物だと思う。いつか返す。返すまでのあいだ、こんなにも細かく、冷たさと生暖かさの違いまで感じ取れるようにできている。

だから、浄化の仕方が違う

同じ青でも、この二つは人にすることが違う。

空は、散らす。見上げると、抱えていたものが上へ散っていく。軽くなる。空は何も受け取らない。ただ、こちらの重さをほどいて、散らしてしまう。

海は、預かる。海に向かうと、抱えていたものを渡してしまう。海は受け取る。深いところへ沈めて、返してこない。飲み込む青は、深い愛情の青だ。

軽くなりたい日は、空を見るのだと思う。誰かに持っていてほしい日は、海へ行くのだと思う。同じ「浄化」という言葉で呼んでいたけれど、片方は手放すことで、もう片方は預けることだった。

どちらの青にも、月がいる

面白いのは、二つの青のどちらにも月がいることだ。

空には、月が浮かぶ。ただ浮かんでいる。見上げるだけで、こちらからは何もできない。

海には、月が映る。そして、月は海を引く。潮が満ち、潮が引く。月の引力が、海の水そのものを動かしている。空の月は浮かぶだけだが、海の月は働いている。

同じ月が、青の種類によって役割を変える。浮かぶ月と、引く月。見る月と、動かす月。

青は、距離の色

多くの言語で、青を指す言葉は最後に生まれたと言われている。赤や白よりずっと遅い。

理由の一つはたぶん、単純だ。自然界に、手に取れる青がほとんどない。空も海も、遠くから見れば青いのに、近づくと青ではなくなる。掬った海水は透明で、空には触れることさえできない。

遠い山が青く見えるのも同じことだ。青は、物の色である前に、距離の色である。

だからかもしれない、と思う。青が人を浄化するのは。

掴めるものは、人を掴む。青は掴めないから、人を掴まない。青を見ているあいだ、わたしたちは何も掴んでいない。それを浄化と呼んでいるのではないだろうか。

今日、どちらの青を選ぶか

青は、遠くにあるだけの色ではない。もうあなたの生活の中にいる。

服の青。器の青。ノートの青。画面の青。カーテンの向こうの空も、青だ。

軽くしたい日は、散る青を選ぶ。顔を上げる。窓を開ける。空の見える道を歩いて帰る。薄い水色を、目に入る場所に置く。

抱えていてほしい日は、深い青を選ぶ。濃紺を着る。深い青の器で飲む。夜の側の青に、身を寄せる。

どちらが正しいということはない。今日の自分がどちらなのかを知っているのは、あなただけだ。色は選ぶものであって、色に選ばれるのではない。

色を自分で選択することは、一日の主導権を、自分が掴むことである。


yohaku

空はからっぽだから、そこに恋も、創作も生まれる。今日あなたが空へ流すものが、誰かを苦しめる青ではなく、誰かを幸せにする青でありますように。

海に足をつければ、冷たい。しばらくすれば、生暖かい。その違いがわかるのは、あなたに身体があるからだ。

借り物の身体を、どうか大切に。自分の身体を愛して、今日一日を過ごしてほしい。

身体の主導権は、あなた自身の手の中にある。

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