色の名前には、たいてい「何かに似ている」が入っている。
桜色。藤色。山吹色。萌黄色。
どれも、目の前にあったものの名前を借りている。
ショッキングピンクは、そこが違う。
この名前には、似ているものが入っていない。入っているのは、受け取った側の感じ——衝撃、である。
一九三七年、パリで名づけられた

名づけたのは、エルザ・スキャパレリ(一八九〇—一九七三)。ローマに生まれ、パリで店を構えたデザイナーである。
一九三七年、彼女は《Shocking》という名の香水を出した。その箱が、この色だった。瓶は仕立て用のトルソーの形をしていて、首には巻尺が巻かれ、肩には花が置かれている。デザインは画家のレオノール・フィニ。体の線のもとは、女優メイ・ウエストだった。

色そのものは、一つの石から来ている。社交界の人だったデイジー・フェロウズが持っていた、カルティエのピンクダイヤ。「テト・ド・ベリエ(牡羊の頭)」と呼ばれた約十七カラットの石で、仮縫いの席でその色が目に入った、と伝わっている。
スキャパレリは自伝で、この色を「bright, impossible, impudent」——明るく、あり得なくて、生意気——と書いている(『Shocking Life』一九五四年)。

似ているものを、一つも挙げていない。感じたことだけを並べている。
色そのものは、新しくなかった
この色が一九三七年に生まれたわけではない。染料としては、すでに七十年以上前からあった。
一八五九年、フランスでフクシンという赤紫の染料が売り出されている。発見したのはフランソワ=エマニュエル・ヴェルガン。名前は、フクシア(ホクシャ)の花から取られた。

同じ色は、同じ年に、別の名前でも呼ばれた。マゼンタである。北イタリアの町の名で、その年、そこで戦いがあった。

ひとつの色に、花の名前と、戦場の名前が、同じ年についたことになる。
その三年前、一八五六年には、十八歳のウィリアム・パーキンがモーヴを作っている。世界で最初の合成染料だった。
もとになったのは、石炭である。石炭からガスを作るときに残る、コールタールという黒い滓(かす)。そこから取り出したアニリンという物質で実験をしていて、偶然、紫が出た。
花からでも、貝からでも、土からでもない。黒い滓から、紫が出た。
自然の中を探さなくても色が手に入る時代は、このあたりから始まる。

だから、スキャパレリがしたのは発明ではない。
当時、ピンクは淡いものだという流儀があった。彼女はその色を薄めずに、全面に使った。
色を作った人ではなく、使い方を変えた人である。
日本には、すでに同じ明るさの名前があった
この色の名前が日本語になるのは、もう少しあとになる。辞書が挙げる古い用例は、一九五六年の『おしゃれ案内』。パリでの命名から二十年ほど経っている。
けれど日本には、それよりずっと前から、同じくらい鮮やかな赤紫を呼ぶ言葉があった。
牡丹色。躑躅色。
やはり、花の名前である。

いま、JISの慣用色名という一覧がある。日本で広く使われている色名をまとめたもので、そこには牡丹色も躑躅色もマゼンタも入っている。
ショッキングピンクは、入っていない。
規格の名前にはならないまま、人の口の中だけで使われ続けている色、ということになる。
ついでに書いておくと、英語の pink も、もとはナデシコの仲間の花の名前だった。花の名として使われ始めたのが一五七〇年代、色の名として定着するのは十七世紀の終わりごろである。

その後、この色を選んだ人たち
一九五〇年代のアメリカでは、ピンクは台所の色だった。冷蔵庫、シャンプー、歯磨き粉。家庭の色として大量に使われた。

七〇年代のパンクは、その同じ明るさを、髪と服に持っていった。

バービーの箱も、二〇〇〇年前後の雑誌の見出しも、この色を使った。
同じ一つの色が、家庭の色にも、反抗の色にも、遊びの色にもなっている。
食卓の上で作られた旗
一九九一年、アメリカのシャーロット・ヘイリーという六十八歳の女性が、自宅で桃色のリボンを手作りした。家族に乳がんを経験した人がいた。
リボンを五本ずつ束ね、はがきを添えて配った。はがきには、国立がん研究所の年間予算のうち、予防に使われているのは五パーセントだけだと書かれていた。予算の使い道を変えてほしい、という訴えだった。
翌一九九二年、雑誌『SELF』とエスティ ローダーが、この運動の目印としてピンクのリボンを広めた。二人はヘイリーにも一緒にやろうと声をかけたが、ヘイリーは商業的すぎるとして加わらなかった。

いま世界中で見かけるピンクのリボンは、家の食卓で、一人の女性が手で作ったものから始まっている。
色が旗になるとき、掲げているのは、いつも人のほうである。
名前が、感情でできている
桜色は、桜を見た人がつけた名前だった。

牡丹色は、牡丹を見た人がつけた名前だった。

ショッキングピンクは、受け取った人の感じが、そのまま名前になった色である。

だから、この色を選ぶとき、選んでいるのは色だけではない。
遠慮を先に置いておきたい日には、淡い色がある。
今日は前に出たい、という日に、この色がある。
どちらを選ぶかを決められるのは、着る人だけである。
一九三七年のパリで、この色を最初に選んだ人も、そうだった。
yohaku

わたしは、ショッキングピンクが好きである。
フクシン。
花の名。
マゼンタ。
戦場の名。
ショッキング。
感情の名。
由来は、それぞれ違う。
それでも、
人間の目に届く色彩は、
よく似ている。
どれも、
強く発光するようなピンクである。
この中で、
わたしが好きなのは、やはり、
ショッキングピンクである。
生きている感じがする。
生の発光がある。
「ショッキング」という文字まで含めて、
その色は、人を惹きつける。
静かに存在するのではなく、
ここにいる。
わたしは、生きている。
そう言っているように見える。
わたしは、
生きている人間が好きなのだ。
自分に与えられた時間の中で、
もがきながらも、
今日を生きようとする人間が。
不器用でもいい。
迷っていてもいい。
それでも、
自分の命を使っている人を見ると、
応援したくなる。
だから、
ショッキングピンクが好きなのかもしれない。
わたしは、
生きている人間が好きである。
サーヤ
