昭和の男は身体で近づいた——言葉より先に、手が動いた時代

時代研究

昭和という時代を、私はリアルタイムで知らない世代もいる。だが、昭和を生きた人たちの話を聞き、その時代の文学や映画や証言を読み続けてきた中で——一つのことが、くっきりと見えてきた。昭和の男は、身体で近づいた。昭和の恋愛は、言語化が少なかった。「好きだ」と言う前に、隣に座った。「付き合ってほしい」と言う前に、手を握った。関係の定義を確認する前に、身体が先に動いた。現代の目から見れば、それは同意のない接触に見えるかもしれない。実際、問題のある行動も多くあっただろう。

だが——その粗野さの中に、一つの確かなものがあった。身体で近づくことへの、覚悟だ。昭和の時代、身体で近づくことは軽い行為ではなかった。

それは責任を伴う行為として、社会に認識されていた。だから男は、近づく前に——言葉にはしなくても——腹を決めていた。平成になり、その覚悟は薄れた。「友達以上恋人未満」という言葉が生まれ、曖昧な関係が標準になった。身体の接触と責任が、切り離された。関係を定義しないまま、身体だけが先に進む——そういう形が、普通になった。昭和の粗野さは消えた。

だが同時に、昭和にあった覚悟も消えた。令和は、言葉の時代だ。「同意」「確認」「境界線」——関係を言語化することが求められるようになった。

それ自体は、大切なことだ。だが——言葉だけが増えて、覚悟が伴っていない場合がある。丁寧な言葉で近づいて、丁寧な言葉で離れる。傷つけた実感がないまま、関係が終わる。昭和・平成・令和、時代は変わった。近づき方も変わった。

だが——人間が人間に近づきたいという衝動は、変わっていない。その人を知りたい、触れたい、傍にいたいという感覚は、時代に関係なく、人間の根底にある。変わったのは、その衝動を「どう扱うか」だ。覚悟を持って近づくこと。相手の尊厳を守りながら近づくこと。

それは昭和にも令和にも、求められている。ただ、形が変わっただけだ。。

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