デイジー——役に立たない花が、どうやって渡ってきたのか

草花研究

花屋の店先で、小さな鉢に何株もまとまって売られている。白や桃色の、小さくて丸い花。デイジーである。

この花は、ヨーロッパでは芝生の雑草だ。イギリスの庭では、抜いても抜いても出てくる草として扱われてきた。日本の店先に並んでいるのは、その雑草から選び育てられた園芸品種にあたる。

デイジーという花

キク科ヒナギク属。学名は Bellis perennis。perennis は「多年生の」という意味である。属名の Bellis は、ラテン語の「美しい(bellus)」から来たとも、ローマの伝承に出てくる森の妖精ベリデスから来たとも言われ、定まっていない。

英語名の daisy は、古い英語の day’s eye(デイズ・アイ/昼の目)が縮まったものとされる。

名前の理由は、この花の性質にある。夜になると花を閉じ、曇った日にも閉じ、朝の光でまた開く。開いているときだけ目が開いている。だから「昼の目」と呼ばれた。

日本に来たのは、明治の初め

デイジーが日本に渡ってきたのは明治時代の初期である。それ以前、江戸時代に入っていた記録は見つからない。

つまり日本人がこの花を見るようになって、まだ百五十年ほどということになる。桜や菊とは、日本にいる時間の長さがまるで違う。

そのころ、国は何をしていたか

この時期、日本は「殖産興業(しょくさんこうぎょう)」という大きな方針を掲げていた。産業を興して国を豊かにする、という意味である。

開国したばかりの日本は、欧米に比べて産業が弱かった。このままでは相手にならない。そこで政府は、外国の作物・家畜・農具・農法を国の費用で買い集め、日本の土で育つかどうかを試し、育つものを広めることを始めた。輸出できる作物をつくり、農業を新しくするためである。

明治十年(一八七七)、そのための施設として三田育種場が置かれた。外国産の種子や苗木を集めて配り、農談会や種苗交換会を開く。個人の商売ではなく、役所の仕事としてやっていた。北海道の開拓使も同じ流れで、アメリカから作物と家畜と農法をまるごと入れている。

当時の日本にとって、外国の植物を入れることは、産業政策だった。それが「国策」という言葉の中身である。

役に立たない花が、役に立つものの流れに紛れて

ただし、国が呼び寄せていたのは、あくまで役に立つ作物だった。小麦、牧草、果樹、家畜の飼料。

デイジーは、食べられも売れもしない、ただの小さな花である。国が欲しがる理由がない。

だから実際には、その大きな流れの端に紛れて来たのだろうと思う。外国人が自分の庭のために持ち込んだ種か、あるいは牧草や作物の種袋に混じっていた種か。ヨーロッパでは芝生の雑草なのだから、牧草の種に混ざって海を渡った、という筋も十分にある。

正直に書いておくと、デイジーが何年に、誰の手で日本に来たのかは分かっていない。確かなのは「明治の初めに来た」ということだけだ。

それでも、こうは言える。役に立つものを運ぶ船に、役に立たない花が紛れ込んで、この国に着いた。

日本人がつけた名前

渡ってきた花に、日本人は名前をつけた。

雛菊(ひなぎく)。小さな菊、という意味である。

そしてもう一つ、延命菊(えんめいぎく)長命菊(ちょうめいぎく)という別名がついた。由来は、咲いている期間が長いこと。園芸種は十二月から五月まで咲き続ける。

ヨーロッパでは芝生の雑草。英語では「昼の目」。それが日本に着いたとき、「長生きの菊」と呼ばれた。同じ花に、土地ごとに違う名前がついている。

花言葉

本によって載っているものが違うので、出てくるものを並べる。

純潔/美人/平和/希望

英語圏では innocence(無邪気・純真)loyal love(誠実な愛)としても語られる。

色ごとに分けて紹介されることもある。白は「無邪気」「純潔」、桃色は「希望」、赤は「無意識」「自然な愛」。

「希望」「新しい始まり」という意味と相性がよいのは、おそらく朝の光でまた開くという性質のためだろう。夜のあいだ閉じていて、朝が来るとまた開く。それを毎日くり返す。

長命と名付けられた花が、夏を越せない

最後に、この花について書いておきたいことがある。

デイジーは本来は多年草である。学名の perennis がそう言っている。ヨーロッパの芝生では、何年も同じ株が生き続ける。

ところが日本では、一年草として扱われる。日本の夏の暑さに耐えられないからだ。春に咲いて、夏に枯れる。

日本で定着できたのは、北海道と、本州・四国の涼しい土地に限られている。

「延命菊」「長命菊」と名付けられた花が、この国では一年で終わる。長く咲くという理由でその名がついたのに、越せない季節がある。

——渡ってきた花には、渡ってきた先の夏がある。

デイジーの野に座って、遠くを見ている絵
絵:Luna SĀYA
デイジーの野で、水を飲んでいる絵
絵:Luna SĀYA

yohaku

役に立つかどうか。

わたしは近年、
この問いについて、何度も考えている。

役に立つ。
人の役に立つ。

そのこと自体は、
とても素晴らしいことだと思う。

わたしは、少女だった頃から学問が好きだった。

そして、
学んだことや、勉強してきたことが、
いつか誰かの役に立てばいいと、
そう思っていた。

けれど、
少女から大人になるにつれて、
ひとつの問いが頭に浮かぶようになった。

役に立たなければ、
わたしという人間に、
他人は用がないのだろうか。

「役に立たない」と判断したときの
人の顔が、
わたしは怖くなってしまった。

振り返れば、
そこが、
わたしが姓名判断や人相学、
手相学を学び始めた
ひとつのきっかけだったように思う。

そして、もうひとつ。

わたし自身も、
同じなのではないかという問いが浮かんだ。

わたしもまた、
他人を、
自分の役に立つか、立たないかで
判断している人間なのではないか。

では、
人間が人間として、
他人と関わるためには、
どうすればいいのだろう。

デイジーの花言葉は、

innocence。

無邪気。
純真。

妖艶に誘惑する花ではなく、

「好き」を、
まだ汚さずに持っている花。

その少女のようなデイジーの中に、

わたしがずっと考えてきた問いへの答えが、
ひっそり隠れているのではないか。

そう、思っている。

サーヤ


取り扱いについて

強い毒を持つ花ではありません。ただしキク科なので、体質によっては触れて肌がかぶれることがあります。

花屋や園芸店で売られている苗は、食べるために作られていません。薬剤が使われていることがあるので、口に入れないでください。犬や猫が大量に食べると、胃腸の調子を崩すことがあります。

表紙の絵:Luna SĀYA

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