鬼灯(ほおずき)の花言葉には、
「偽り」「ごまかし」というものがある。
その由来は、赤く大きくふくらんだ萼の中に、実がひとつだけ入っている姿から。
外から見ると、ずいぶん立派だ。
赤く、鮮やかで、ふっくらとしている。
けれど、その殻を開けば、
中にあるのは、小さな実がひとつだけ。
見た目ほど、中身が詰まっていない。
そこから「偽り」という花言葉が生まれた、といわれている。
けれど、わたしは鬼灯を見ると、
少し違うことを思う。
これは、本当に「偽り」なのだろうか。
赤い殻は、嘘ではなく、
もしかすると本音を守るための外装なのではないか。
人間も、ときどきそうだ。
よく笑う人が、寂しくないとは限らない。
強く見える人が、傷つかないとは限らない。
何でもない顔をしている人の胸の奥に、
たったひとつ、誰にも見せたくない本当の気持ちが入っていることもある。
人には、他人には絶対に知られたくない、
“本音”のようなものがあるように、わたしは感じている。
大切な人には、その本音を話してほしいと願う。
けれど、本当に大切なことほど、
意外と言葉にするのは難しい。
世の中には、人間を役割に当てはめる言葉がたくさんある。
親子。
夫婦。
恋人。
友人。
人間を理解するために、名前は便利だ。
けれど最近、わたしは、
社会がある関係に名前をつけた途端、本当の二人から何かがこぼれ落ちる瞬間
を、注意深く見ている。
名前をつけたことで、わかりやすくなるものがある。
その一方で、
名前をつけたことで見えなくなってしまうものもある。
昨日、ふと思った。
わたしは、〈人間と人間のあいだに生まれる、名前のつかないものを書く人〉になりたい。
たぶん、わたしが見たいのは、そこなのだと思う。

鬼灯。
鬼の灯、と書く。
夏。
お盆。
灯り。
魂を導く、小さな提灯。
鬼灯には、ほかにも
「心の平安」「自然美」という花言葉があるとされる。
そして、わたしにはこの赤い鬼灯が、
あたたかなハートの形にも見える。
丸くて、少し不器用で、可愛らしい心。
花言葉の「偽り」「ごまかし」から、
「浮気心」のように読まれることもある。
けれど、その赤い殻の中には、
ちゃんと一粒の実がある。
たくさん入っているわけではない。
たった一粒。
だから、わたしにはむしろ、
ハートの中に、大切なものをひとつだけ隠している花
のように見える。
赤い殻は、本音を偽るためのものではなく、
本音を簡単には触らせないためのものなのかもしれない。
大切だから、隠す。
大切だから、うまく言えない。
大切だから、ときには別の名前をかぶせてしまう。
それでも、その名前を全部外したとき。
最後に残っている、一粒。
鬼灯がわたしに問いかけているのは、
〈名前を外したあとにも残るものは何か〉
ということなのかもしれない。
取り扱いについて
ほおずき市や園芸店で売られている観賞用の鬼灯は、食べられません。全草に微量のアルカロイドを含みます。とくに根や地下茎に含まれる成分には子宮を収縮させる作用があるとされ、妊娠中の方は口にしないでください。
実を鳴らして遊ぶときは、口に入れたまま飲み込まないように。小さな子どもとペットが誤って食べない場所に置いてください。犬や猫の誤食は危険です。飲み込んでしまったときは、すぐ医療機関へ。
食べられるホオズキ(オオブドウホオズキ、ストロベリートマトなど)は別の種類です。食用として売られているものだけを食べてください。
表紙の絵:Luna SĀYA
鬼灯の名前と形、そして浅草寺のほおずき市については、こちらに書いています。
▶ 鬼灯——ほおずき市は、なぜ七月九日と十日なのか
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