平成という時代に、恋愛の形が変わった。
「付き合っているのか、いないのか」がわからない関係が増えた。告白という儀式が消え始め、「なんとなく一緒にいる」という状態が標準になっていった。
なぜそうなったのか。
昭和の時代、男女の役割は固定されていた。男が働き、女が家を守る。その構造の中で、恋愛と結婚は直結していた。曖昧にしていられる余裕が、なかった。
平成に入り、その構造が崩れた。女性が働くようになり、結婚しなくても生きられるようになった。男も、家長としての責任を問われなくなった。
自由になった。同時に、関係を定義しなくてもよくなった。
曖昧さは、個人の弱さではなく、時代が作った構造だった。
ただ——その曖昧さの中で、傷ついた人がいる。「どういう関係なのか」を問えないまま、時間を過ごした人がいる。
曖昧さは自由でもあり、無責任でもあった。その両面を、平成は持っていた。
令和の「確認文化」は、その反動だ。曖昧さへの疲れが、言語化への要求を生んだ。
時代は、男女の形を作る。そのことを知っていると——自分の恋愛の傷を、少し、構造として見られるようになる。

