令和の恋愛は、言語化を求める。
どういう関係か。どこまで許容するか。何をしてはいけないか。
それはある意味で、契約に近い。条件を明示し、合意を得て、関係を進める。
この傾向を、批判する声がある。「愛は契約ではない」と。
ただ私は、一概にそうとは思わない。
契約には、相手への敬意がある。「あなたはどう思うか」を確認することは、相手の意思を尊重することだ。
昭和の愛は、言葉より身体が先だった。確認より行動が先だった。それは時に、相手の意思を無視することにもなった。
令和の言語化は、その反省の上にある。相手をモノとして扱わないための、一つの試みだ。
ただ——契約は、スタートだ。ゴールではない。
言語化された合意の上に、何を積み上げるか。その先に、愛があるかどうかが決まる。
契約は、愛の代わりにはならない。ただ、愛を始めるための土台にはなれる。

