令和の「確認文化」——なぜ告白の前に合意が必要になったのか

時代研究

令和の恋愛に、一つの特徴がある。言語化への要求が、かつてなく高い。「付き合う前に、お互いの気持ちを確認したい」「関係を進める前に、同意を取りたい」「どういう関係なのかを、はっきりさせたい」——そういう声が増えた。

これは、正しいことだと思う。同意は大切だ。言語化は必要だ。だが——何かが、引っかかる。かつて、言葉での確認がなくても、関係が成立していた時代があった。視線で、距離で、身体の向きで——言葉にしなくても、お互いの気持ちが伝わっていた。

なぜ今、言葉での確認が必要になったのか。一つには——信頼の基盤が薄くなったからだ。共同体が解体し、都市に人が集まり、見知らぬ者同士が出会うようになった。共通の背景も、共通の価値観も、共通の知人もない状態で、人間は人間に近づこうとしている。

その状況では、言葉での確認は必要だ。身体の言語を共有していないから、言葉で補うしかない。言葉で確認することは大切だ。だが——言葉で確認できるのは、表面の合意だけだ。「付き合いたいですか?」「はい」——その言葉の交換で、関係が始まる。

だがその「はい」の奥に何があるか、言葉は教えてくれない。どういう思いで「はい」と言ったか。どういう覚悟で「はい」と言ったか。

その「はい」がどれほど本気か——それは、言葉の確認では測れない。令和の確認文化が示しているのは——人間が人間を、簡単には信頼できなくなっている、ということかもしれない。

だから確認する。だから言語化する。だから合意を取る。その必要性は理解できる。だが——確認を重ねても、信頼は生まれない。信頼は、時間と経験の中でしか育たない。言葉での確認は、スタート地点だ。ゴールではない。

その先に何を積み上げるか——それが、令和の恋愛の本当の問いだと思っている。。

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