人は、わかってほしい生き物だ。自分の痛みを、よろこびを、誰かに知ってほしい。それは自然な願いだ。
だが——関係の中で、両方が「わかってほしい」だけになると、すれ違いが始まる。二人とも、自分を理解されることばかりを求め、相手を理解しようとしない。そのとき、会話は、主張のぶつかり合いになる。
関係を支えているのは、「わかってほしい」気持ちではない。「わかろうとする」姿勢のほうだ。
相手の中で何が起きているのか。なぜこの人は、いま、こう感じているのか。それを想像しようとする——その動きが、関係に橋をかける。
完全にわかることは、できない。人は、他人の中に入ることはできないからだ。それでも、わかろうとする。わかりきれないことを知りながら、なお近づこうとする。
その不可能への、あきらめない態度こそが、愛と呼ばれるものに近い。「わかってほしい」と願いながら、「わかろうとする」ことを忘れない。そのバランスを保てる人が、人と長く、深くいられる。

