他人を壊すことで、自分を確認しないために

Luna SĀYA思想

「傷つけるつもりはなかった」この言葉を、何度聞いただろう。傷つけた側がこう言うとき——嘘をついていない場合が多い。本当に、傷つけるつもりがなかった。

ただ、気がついたら、相手が壊れていた。なぜ、そうなるのか。人間には、自分の存在を確認したいという根本的な欲求がある。「私はここにいる」「私には力がある」「私は選ぶ側だ」——そう感じることで、人間は安心する。

その確認の方法が、健全な形を取るとき——人間は何かを作り、誰かと深く繋がり、自分の中に信念を育てる。だが——その確認の方法が、歪んだ形を取るとき——人間は他者を壊すことで、自分を確認しようとする。相手を支配することで、自分の力を感じる。相手を傷つけることで、自分の存在を確かめる。相手を切り捨てることで、自分が選ぶ側であることを証明する。

これは、意識的な悪意ではない。多くの場合、無意識だ。ただ、深く傷ついた人間が、自分を確認する別の方法を見つけられていないだけだ。

人相を読んでいると、この構造を持つ人の顔には、共通の特徴が見える。目の焦点が定まっていない。視線が相手の目を深く見ようとしない。笑うとき、口だけが動いて、目が動かない。

これは生まれつきではない。生きてきた時間の中で、刻まれてきたものだ。傷ついた経験が、人相に出る。壊してきた経験も、人相に出る。どちらも、責める材料ではない。

ただ、その人が何を経験してきたかの、記録だ。壊さないために必要なのは——テクニックではない。「他人を壊すことで、自分を確認しない」という、静かな決意だ。

これは一度決めて終わりではない。日々、問い続けることだ。今、私は相手を「使おう」としているか。今、私は相手を傷つけることで、何かを確認しようとしているか。今、私の中に、相手を小さくしたい衝動があるか。最後に、正直に言う。

この問いは、他人への問いではない。まず、自分への問いだ。私自身、誰かを壊すことで自分を確認しようとしたことが、なかったか。

その問いを持ち続けることを、私はやめない。だから——このブログを書いている。。

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